【競輪】山田義彦選手インタビュー!筋無力症でも頑張っています!!
新春特別企画
競輪の山田義彦選手にインタビュー
特定非営利活動法人筋無力症患者会報誌 MG Japan61号より許可を得て掲載
皆さんの中には、競輪に興味をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。 大きなバンクで繰り広げられる、自転車の熾烈な闘い! そんな世界で筋無力症になっても頑張っている一人の選手がいます。 それが埼玉県出身、山田義彦(やまだ・よしひこ)選手です。
山田義彦選手の略歴
2007 /西武園デビュー
2008 /胸腺腫摘出から重症筋無力症発症
500日競輪休み闘病生活
2009 /競輪復帰
2011 / S 級昇級
2017 /胸腺腫再発為11 月摘出再手術
山田選手のブログより引用
筋無力症の発症時期と、どのような症状がありましたか?
競輪選手としてデビューして半年後の健康診断で、まず始めに胸腺腫が見つかったんです。それで胸腺腫を取る手術をして1ヶ月くらいあとに、まぶたが下がってきたり体に力が入らなくなってきました。数%の割合で筋無力症になるかもしれないとは聞いていたので、「あぁ、やっぱり来たか、当たっちゃったなぁ・・・」と思いました。 練習のあと、体がやたらだるく、まぶたが重くて開けていられなくて、帰るまでに一旦休憩してから戻るといった感じでした。次の朝起きても、疲れが取れていないことがあり、食事をしても肉はゴムをかんでいるみたい、キャベツの千切りもシュレッダーにかけた紙を食べているみたいな感じで、あごに力が入らなかったです。「これはちょっとやばいな」と思い受診したら、症状が出ているので即入院となりました。
始めに筋無力症と聞いてどのように感じましたか?
デビューして半年で、ちょうど競輪もおもしろくなってきた頃だったので、もう競輪ができなくなってしまうのか?という不安はありました。でもまた戻りたいという強い気持ちはありました。まぁ、ダメだったら他の仕事を考えるか、これで嫁さんでも探せるかな、なんて考えていました。実家が自営だったこともあり、競輪が続けられなくてもなんとかなるかな、というのもあったし、今の時代、仕事はいろいろあると思うので。
治療の経過はどのような感じでしたか?
最初の入院では、8 ヶ月入院してステロイドの服薬治療が中心でした。この時は、病院から言われたことだけ聞いていました。症状としてしっかり出てしまっていたので疑う余地もなかったです。ステロイドの内服とリハビリで体力をつけていきました。2008 年4 月に入院して年末に退院、ステロイドは徐々に増やしていき、最高で80mg まで飲んでいました。
高校時代の恩師が病気のことを調べたり、病院を探してくれたりいろいろ手配してくれて、とても感謝しています。今でも先生とは時々会って情報をもらっています。一人だったら大変だったけど、先生がいてくれて本当に良かったと思います。ネットなどでも調べられるけど、いろいろ読んだりしても落ち込んでしまうので、自分では病気についてはあまり積極的に調べたりしませんでした。
病気に対して向き合う、立ち向かうための気持ちは?
病気になったことはしかたがないと思います。逆に病気であることを利用できるところは利用していこうと思っています。気持ちはいつも前向きに。
いろいろ不都合なことがあった時に、病気のせいにするわけではないけど、自分の塩梅で冗談っぽくしたり、うまく使って言い訳?的にしていければいいかな、と。周りが甘やかしてくれるわけでもないので、自分で気持ちを前向きにできるように、病気を使って(笑)います。
復帰に向けて思ったことは?
また走りたい、この思いしかなかったです。上位で戦いたいという気持ちしかないです。やるだけやってダメなら後悔はない、という思いでした。
今は持久系のトレーニングの成績があまりよくないのが悔しいです。追い込みすぎると症状が出てくるのがわかるので、そのあたりのコントロールも大事だと思います。
レースに出ていて心配・不安なこと、逆に大丈夫なことは?
以前ほど成績が上がってこないんですけど、これは病気のせいにしたくないです。自分が信じる練習をするしかないと思っています。どんな選手でも、いつなんどき病気やケガなどでレースに出られなくなるかもわからないので、不安はみな同じだと思います。
ただ、ケガは日がたてば治るけど、MG はそういうわけにはいかないので、そこは心配です。朝起きた時など、症状が出ていないかチェックするのも大切です。レースの時間帯によって、食事時間・薬を飲む時間がまちまちになるので、薬の飲み忘れ、また各地を転々とするので薬の持ち忘れには気を付けています。薬を飲むタイミングを合わせるのがけっこう大変です。大丈夫なこととしては、日本全国どこにいても病院はあるので、連携をとってくれさえすれば一時的な対応をしてくれると思うので、遠征先でもあまり不安はないです。
今後の目標は?
G1レースで活躍することです。2回目に手術をしたときに、もっと上位で走りたいと強く思いました。
筋無力症でも競輪選手をやれるんだと、世の中に知らせたいと思いました。MGの仲間を勇気づけられたらいいなぁ、と・・・最初に発症したときに、絶対に競輪に戻ると決めていたので、今は戻れて本当に良かったと思います。
周りの方たちへのカミングアウトは?
選手仲間たちには、はじめから胸腺腫も筋無力症も話していたので、そうなのかと受け止めてくれていました。隠していたら競輪もできないし、隠しているほうが難しいと思います。オープンにしているけど、他の選手がそれを意識しているかはわからないです。僕が勝った時に「病人に負けちまった~」なんてネタにされることがあるくらいで、そのほうがこちらも気持ちがいいです。
花粉症や痛風になっている人もいるわけで、それがたまたまMG だっただけ。病気を公表したことで離れた人は縁がなかった、それまでと思っています。関係なく付き合ってくれる仲間はずっと付き合っていかれますよね。僕に興味をもってくれたり助けてくれる人もいます。こんなことも病気になったから思えることなのかもしれませんね。去年1 年はまぶたが下がることがあって、物まねタレントばりにテープでまぶたを強制的に上げて(!)走っていました。仕事と割り切って少しでも勝てるように頑張りました。周りには大ウケで、自分でもやっていて面白かったですよ。
いつから競輪選手になりたいと思っていたのですか?
高校では陸上をやっていたんですけど、卒業するときに、サラリーマンや教員などの雇われはいやだな、と思い、だったら知らない道だけど競輪選手になろうか、と一瞬でひらめいた!!んです。なれたら、頑張った分の評価をもらえる、それなら納得だと思ったんです。
MGの仲間に向けて
一人で抱えまないでほしいと思います。今はネットの情報もたくさんあるので良いことだと思います。僕もブログなどで、同じ病気の仲間がいることに励まされました。他の病気と比べるわけではないけれど、MGで良かったと思って(普通にしていれ ば、痛いとか苦しいとかは無いので)もっと頑張ろうと思っています。ステロイドを飲んでいるおかげで、花粉症にはならない、これはラッキーです。春先など花粉症で鼻水ズルズルで苦しんでいる選手がいると、ひそかに勝ったな、と思ったりしています。(笑)
公益財団法人JKA(ケイリン) http://keirin.jp/pc/top
山田選手の紹介ページ http://keirin.jp/pc/racerprofile?snum=014230
競輪学校時代からの同期・大畑裕貴(おおはた・ゆうき) 選手にも山田選手について伺いました。
山田選手が筋無力症になった時、 どのように感じましたか?
はじめは詳しいことがわからなかったので、もう競輪はできないのかと思いました。見ていて、体がうまく動かないのがわかるので大変だなと思いました。でも山田選手はとても前向きだったので、気持ちを強く持っているんだとわかって、きっと戻ってくると信じていました。本人が暗い顔をしていなかったし、周りに気をつかっているところもあったけど、何より根がポジティブなので大丈夫だと思っていました。僕としては山田選手が競輪を続けられなくなっても付き合いが変わるわけではないし、また走れるようになれば、友達としてライバルとして一緒に頑張ればいいと思っていました。
最初の胸腺腫の時に、筋無力症になるかもしれないと聞いていたので、その後本当に発症して、腕が上がらないんだよ~と笑いながら話していたけど、けっこう辛そうでした。同期の選手たちでお見舞いに行ったら、喜んでくれたので良かったです。
現在、 どのようにサポートなどしていますか?
病気に対しては特に気を遣うようなことはしていません。会えば、練習方法などの情報交換はしています。お互い選手として10 年も過ぎると、ガツガツ行くというより、無事にレースを終えることのほうが大事になってきます。
信頼しあっているので、どんなことも素直に話せる仲間です。
今後、 山田選手に期待することは?
これからもケガをしないよう気を付けて、ポテンシャルを高く持って、お互いにもっと上に行けるように頑張りましょう。「MGでもこんなにできるんだ!」とアピールしていってください。
山田選手、大畑選手、取材にご協力ありがとうございました。お二人とも本当に仲が良くて、お互いに刺激しあいながら頑張る仲間、というのがバンバン伝わってきました。山田選手は本当に気持ちがポジティブな方だな、とお話していてもわかりました。負けず嫌いで頑張り屋さん、向上心のかたまりのような方でした。これからもたくさん勝てるように、頑張ってください!!