「ありのままで生きる力」で未来を描く。おおいずみみえこさん|膠原病と特発性大腿骨頭壊死症(ION)
膠原病と特発性大腿骨頭壊死症(指定難病71、ION)、二つの難病を抱えながらも前向きに生き、自身の経験を活かして福祉の分野で活躍するおおいずみみえこさんをご紹介します。その波乱万丈な人生と、誰もが持つ「やりたい」を叶えるための工夫や努力を伺いました。
これまでの経緯
- 1999年 指先のしびれや腕の痛みといった複数の症状が現れる。
- 2000年 膠原病として診断
- 2006年 股関節の痛みで検査、特発性大腿骨頭壊死症(ION)と診断。
- 2007年 股関節の手術を実施
- 2016年 車椅子の使用を開始
病気との出会い
私が最初に「何かおかしいな」と感じたのは1999年のことです。
指先のしびれや腕の痛みが続き、次第にベッドから起き上がるのも難しくなっていきました。
当時は病気だとは思わず、運動不足かなと思って筋トレを始めたんです。
でも、何をしても改善せず、近所の整形外科を受診したところ、「むち打ちですね」と診断されました。
それでも症状はひどくなる一方で、着替えすら一人ではできないほどに。
意を決して大学病院を受診しましたが、その時点ではまだ病名が特定できませんでした。
自分の体がおかしいと分かっているのに、原因がわからないというのは、本当に不安な日々でした。
翌年、ようやく別の病院でセカンドオピニオンを受けた結果、「膠原病の一種である混合性結合組織病(指定難病52、MCTD)」と診断されました。
皮膚にも症状が現れる尋常性乾癬も併発しており、皮膚が異常に固くなったり痒くなったりするのです。
現在は、生物学的製剤という注射を月に一度打つことで、症状はずいぶん落ち着きました。
さらに2006年には、股関節の痛みが悪化して「特発性大腿骨頭壊死症(ION)」と診断されました。
原因は膠原病の治療で使用していたステロイドの副作用だと説明されました。
当時は杖を使っていましたが、それでも股関節にかかる負担は大きく、最終的に2007年に手術を受けることになりました。
その後も他の関節に症状が出たため、人工関節の装着や骨切り手術を繰り返す日々が続きました。
混合性結合組織病(MCTD)とは?
膠原病の一種で、リウマチや全身性エリテマトーデス(指定難病49、SLE)など複数の膠原病の症状を併せ持つ病気です。
具体的には、手足の指が冷えて白や紫に変色する「レイノー現象」や関節痛、筋肉の痛み、そして皮膚や内臓に影響が出ることもあります。
この病気は進行性で、早期診断と治療が必要です。
私の場合、特に関節や皮膚への影響が強く、日常生活に大きな支障をきたしていました。
特発性大腿骨頭壊死症(ION)とは?
股関節にある大腿骨頭の一部が血流不足により壊死してしまう病気です。
特にステロイド治療やアルコール摂取が原因になる場合があります。
この病気は初期の段階では症状がわかりにくいことが多いのですが、進行すると股関節の強い痛みを引き起こし、歩行が困難になります。
私の場合は、膠原病の治療でステロイドを使用していたことが原因でした。
難病と向き合う生活
2016年からは車椅子を使うようになり、翌年には完全に車椅子生活に移行しました。
それまでは杖や歩行器を併用していましたが、車椅子に乗るようになってから、痛みから解放される時間が増えたんです。
旅行にも行けるようになり、車椅子バスケにも挑戦しました。
「車椅子だからできない」ではなく、「車椅子でもできる」ことを探すようになったんです。
仕事との向き合い方
病気の影響で山形から仙台へ引っ越しました。
山形では雪が多く、雪かきにかかる費用や体力の問題で、働くのが難しかったんです。
仙台に来てからは福祉用具専門員として、車椅子やスロープなどの福祉用具に関するコンサルティングを行っています。
実際に自分が使っているからこそ、利用者さんの気持ちや困りごとがよくわかります。
例えば、岩手のスキー場にあるホテルでバリアフリーの改善を提案するプロジェクトに関わったり、国際福祉機器展に出向いて新しい道具を学んだりしています。
これまでの経験を通じて、私にしかできない仕事だと感じています。
未来への展望
今後はオンラインを活用して、より多くの人に福祉用具や支援の選択肢を広めていきたいと考えています。
また、地域や症状によって異なる保険制度や支援金について、簡単に検索できるようなアプリの開発にも興味があります。
「病気でも夢を諦めない」そんなメッセージを伝えられる活動を続けていきたいですね。
病気とともに歩む人生は決して楽なものではありませんが、その分見つけられる喜びや挑戦もたくさんあります。
これからも自分らしく、そして誰かの力になれるよう、進んでいきたいと思っています。
最後に
これまでの人生、病気とともに歩んできた私ですが、障害があるからこそ気づけたこと、得られたご縁もたくさんありました。
もちろん、体調や環境の変化に悩む日もありますが、私を支えてくれる家族や友人、そして何より自身の挑戦する気持ちが、今の私を作ってくれたと思います。
これからも、福祉や介護の分野で私の経験を活かし、多くの方の力になれたら嬉しいです。
そして同じように困難に向き合う人たちが「できること」を見つけて前に進むお手伝いができたら、こんなに幸せなことはありません。
どんな道も前を向いて進むことができる、そう信じているからこそ、私はこれからも歩み続けます。
一歩ずつ、できる範囲で。
でも、しっかりと。