声を失っても、届けたい想いがある。合田朝輝さん|筋萎縮性側索硬化症
今回は体が徐々に動かなくなる難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しながら、マーケターとして企業へのコンサルティングを行う合田朝輝さんを取材させていただきました。
これまでの経緯
- 2016年 右手の親指の動きに違和感があり、文字をかけなくなった。
- 2019年 ALSと診断。看護師を退職。
- 2020年 夏の終わりくらいから車椅子。冬には電動車いすになっていた。身体障害者手帳1級取得。
- 2021年 起業
自己紹介
ALS×看護師×マーケターの合田朝輝です。
私は29歳のときにALSと診断を受けました。2018年に厚生労働省が発表した特定疾患医療受給者証交付件数によるとALSの29歳以下の人数は17人でした。
若くしてALS患者になり4年。
いまは目しか動かせなくなりました。
しかし、どれだけ病気が進行しても考えることはできます。
現在は視線入力装置を使って、企業へのコンサルティングを行い、クラウドファンディングのマネジメントでは合計800万円を超える資金調達をサポートしています。
また、僕の想いや言葉を未来に残すため、絵本『フィーロくんのいと』を出版し、諦めないことの大切さを発信しています。
発症当時の様子
放射線技師の父親の影響から、幼い頃から病院で働きたいという思いがあり、大学卒業後は、集中治療室で看護師として働きました。
結婚し3人の子供も生まれ、夢のマイホームを購入。
ALSを発症したのは、そんな時でした。
最初に違和感を覚えたのは、注射器が持てなくなったことです。
病院に受診するも原因不明の状態が続き、はじめは腱鞘炎だと思っていました。
しかし、時間が経つにつれて今度は太ももにも力が入らなくなったんです。
「何か他の病気があるかも」
発症から約1年が経ち、僕の不安は当たりました。
ALSについては、仕事柄知っていましたが、診断を受けた時は、根拠はないものの治ると思っていました。
そう思うことで自分を保っていたのだと思います。
起業のきっかけ
次第に体が動かなくなり、看護師を退職、さらには育児さえも難しくなり、車椅子での生活を余儀なくされました。
そんな時、あるブログを書きました。
『私は人間でしょうか』
病気になってから、初めて自分の気持ちを書き出しました。
動けなくなる現実に絶望し塞ぎ込んでいた時、1人の友人が家に来てくれました。
「体は動かなくても、感情があり、考えることもできる。僕にビジネスのアイデアを提案してほしい」
誰の役にも立てないと思っていた人生に、希望の光が差しました。
また仕事を通じて、現実逃避になったのも事実です。仕事をしてる時は、動けなくなる現状を忘れることができ、僕にとって大切な逃げ道でもありました。
絵本『フィーロくんのいと』出版について
出版のきっかけは、自分の想いを3人の子供達へ残したいと思ったことです。
既に声を出すことができなくなり、自分の声で伝えることは難しくなりました。
子供でもわかりやすく、未来へ紡いでいけるもの。
それが絵本でした。
子供達は僕が動けたことを知りません。僕がどんな声だったかも知りません。
ALSでなければ、子供達へしてあげたかったことはたくさんあります。
僕は絵本を読んであげられないけど、絵本を通して想いを伝える。
そんな僕の夢が、2人の友人のおかげで実現しました。
『フィーロくんのいと』はこちら
病気で得た経験
障害者になり、健常者の頃には気づけなかった価値観や視点を知ることができました。
経営者の方に対して、障害者の視点からお話しできるので、僕ならではの良い影響を与えられていると実感しています。
また、僕が生きる姿を見て「勇気をもらえた」と言ってもらうことがあります。
ALSになって、たくさん辛い経験をしてきましたが、誰かの生きる希望になれていることは本当に嬉しいです。
病気になって良かったとは思いませんが、病気を自分の強みに変えられるように意識しています。
最後に
しんどいときや、辛いときもあると思います。
そんな時は、前向きじゃなくても良いんです。後ろ向きでも、下向いてても良いので、ただ諦めないでほしいです。
自分がどこに向かっているか、わからないこともありますが、進んでいれば、いつかどこかにたどり着くと思います。
だから、諦めないで欲しいです。
体が動かなくなっても、自分の声が出せなくなっても、諦めない男がここにいます。
僕は生きています。