自分の心の声に従ってポジティブに。染谷聖渚さん|脊髄性筋委縮症(SMA)
今回は、2歳で脊髄性筋委縮症(SMA、指定難病3)を発症し、現在はコンサルタント会社で勤務されている染谷聖渚さんを取材させて頂きました。
これまでの経緯
- 2001年 母が体の挙動に違和感を感じる
- 2002年 脊髄性筋萎縮症 (III型) と診断
- 2020年 東京理科大学入学
- 2024年 コンサルタント会社に入社
脊髄性筋萎縮症(SMA)について
脊髄性筋萎縮症(SMA)は10万人に1人の病気で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と近い病気といわれています。
症状は、人より筋肉量が少ないことです。
患者さんごとによって筋肉量の違いがあるため、同じ病気でも症状の差異が大きい病気です。
発症年齢によってI型~IV型まで分かれていますが、私は、III型と診断されています。
診断に至るまでの生活
診断を受けたのは、私が2歳と2ヶ月のときでした。
母から見ても少し不安に思う程度には幼少期から違和感があったそうですが、それでもちょっと歩くのが遅い程度。
幼稚園までは立って歩いていたので、そこまで心配されていませんでした。
最初は、母も気にしていなかったものの、弟の健康診断で同じ年齢の子供の歩き方や運動量の比較から、診断した医師が心配になり私を詳しく診療したところ、脊髄性筋萎縮症(SMA)であると診断されました。
障害者という認識が無いほどのポジティブマインド
物心がつく3歳からは車椅子で過ごしていました。
今も電動車椅子で日常を過ごしています。
自分の感覚では、最初から車椅子なので生活にあまり違和感はありませんでした。
幼稚園から大学までは普通学級でしたし、自分が障害者という認識すらなかったです。
私が障害者なんだと認識し始めたのは、中学生のときです。
初めて遠出して電車に乗ったとき、車椅子だから駅員さんを呼ばなきゃいけない、という現実に障害者という特別感を認識しました。
ただ、認識はしたものの、当時から今に至るまで、正直自分が障害者であるという自覚はそんなに無いんです。
分かってはいても、すごく意識しているわけではないポジティブなマインドを持っています。
もちろん、多少は車椅子という制限でできないことがあるので、落ち込むこともあります。
ただし、先天性疾患であること、自身のポジティブさも相まって落ち込み続けることは全然少ないと思います。
少なくとも、障害者だからという理由で落ち込み続けることはありません。
歩けないなら、しょうがない。
だからできることをやろう。
そういうマインドで生きてきました。
ポジティブな自分でも苦難したこと
そもそも、家族もいい意味で何も私に口を出さないタイプでした。
自由にさせてくれたこと、加えて、娘に障害があるということを特別意識せず、周りの健常者の子たちと変わらず育て、なんでも挑戦させてくれたお陰でポジティブな私がいるのかもしれません。
小さな挑戦と成功体験の積み重ねがあってポジティブな自分がいます。
学生時代も自由な選択の後押しをしてくれた親が、とても支えになっていました。
学校では、教員の方に特別支援学校を勧められたこともありましたが、「いや!本人がみんなと遊びたい。進学したい。本人がそう思っているのならそうさせる!」と、背中を押してくれましたね。
苦難したことといえば、高校生のときの出来事です。
野球部の球場の応援に憧れて、吹奏楽部に入りました。
ですが、いざ実際に応援の機会がきてみると「危ないからだめ」と先生に止められました。
友達も手伝ってくれて、問題ないのに……。と、大人の事情で止められたことが悔しかったです。
大人にも責任があって、心配な気持ちもすごく伝わっていたので、事情は理解できますが、やっぱり「やらせてくれ!」という気持ちが非常に強かったです。
大学進学から就職、社会人となって
大学は、東京理科大学に進学しました。
2年の間、浪人はしてしまいましたが……(笑)。
それでも行きたい大学に行けたことはとても嬉しかったです。
2年間、自分が憧れる方向に向かって努力ができたことは、この後の自信につながりました。
学生時代は、やりたいことができた期間だったと思います。
インターンにもチャレンジしました。
ある日、大学の授業で女性社長が講演をしていました。
その時の講演で、自分のやりたいことを通している社長の生き様をみて、一緒に働いてみたいと思うようになり、さらには、その方の自己対話・自己実現のメゾットの考え方に憧れました。
この頃から、自分のマインドを何かに活かしてみたいと思うようになっていたと思います。
卒業後、経営コンサルタントの仕事に就職しました。
就職の決め手となったのは、面接官をしていただいた方々の考え方です。
障害者の雇用は、障害者雇用しかないとか、障害者は昇進できないという考え方を多く聞いてきました。
ですが、面接で言われたことは、「私は一環してあなたの能力を見ている。工夫をすればやれることはあるし、場所や環境は大きな問題じゃない。それを自分で工夫して、変える力を持っている。」という言葉です。
柔軟な考え方に共感する部分があり、ここで働こうと思いました。
どんな状況でも楽しく生きること
趣味は、友達と旅行をすることです。
ライブやスポーツ観戦にも行きますし、社会人になってもさまざまな活動をしています。
正直、仕事と両立するのが疲れるくらいに(笑)。
本当に大事なことは、「自分が心の奥でやりたいと思っていることを、見て見ぬ振りせずに向き合って、それを叶えるためにどう工夫していけばいいのか。どういう伝え方をすれば周りは分かりやすいのか。」を考えることだと思います。
当事者に伝えたいこと
今後は、今の会社でどんどん活躍していきたいと思っています。
そして、それと同時に、常に自分は何をしたいのか?何が好きなのか?ということと向き合い、それを具体的にしていきたいです。
特に現在は、自己肯定感などのマインドセットについて、もっと深く学びたいと考えています。
自分がいちばん向き合ってきた分野だからこそ、自分の経験を原点とし、社会に活かしたいと思っています。
もう一つやりたいことは、「車椅子でも楽しく過ごせるんだ!」ということを、たくさんの方へ伝えたいと思っています。
親御さんや当事者、車椅子ユーザーと関わったことがない方へも。
健常者、障害者に関わらず、社会全体に思うことは、特に 「自分の心の声」 を大切にしてほしいということです。
車椅子だから。ではなく、あなたは何がやりたいのか?
心の声に正直になってください。
そして、たくさん考えて、考え続けてください。
やりたいことはできます!一緒に頑張りましょう!