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パラスポーツが人生の転機に。細野翔大さん|慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)

今回は慢性炎症性脱髄性多発神経炎(以下CIDP)を発症。現在はパラアスリートとして活動されている細野翔大さんにお話を伺いました。

これまでの経緯

  • 2017年 12月 足の裏に痺れを感じる
  • 2018年 1月 神経内科を受診。末梢神経障害と診断
  •   同年 4月 大学病院の脳神経内科を受診
  • 同年 12月  慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)の診断
  • 2020年 8月 パラスポーツ開始

自己紹介

はじめまして、細野翔大です。2018年にCIDPの診断を受けました。

現在はロフストランド杖を使って長時間でなければ歩けます。握力は12kgくらい、体調が良いときで15kgくらいですね。

障がい者スポーツ施設の職員さんに誘っていただいて、まずは砲丸投をはじめました。

今はパラアスリートとして、砲丸投以外にも、円盤投、パラパワーリフティングに取り組んでいます。

発症から診断まで

初期症状は足裏の痺れでした。元々末端が冷えやすい体質で、冬だったので、寒さのせいかと思っていました。

しばらくすると、痺れだけではなくて指に動かし辛さを感じるようになりました。その後、だんだん足首のあたりが動かしにくくなってきて、足が垂れ下がるような感覚になりました。

はじめは足だけだった症状が、手の指にも出てきました。足と同じように症状の範囲が手の上の方へだんだん広がりました。

当初、ギランバレー症候群、シャルコー・マリー・トゥース病、アミロイドーシスなどの疑いもあり、内視鏡検査などもしました。なかなか確定診断が出なかったんです。

CIDPと診断されたのは、発症から約1年後でした。

そのころ、足は膝あたりまで、手は肘あたりまで症状が広がっていました。握力は5kgだったと記憶しています。

CIDPについて

慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)は、手足などに広がる末梢神経に、何らかの原因で炎症が起こることで、手足が痺れたり、感覚が鈍ったり、力が入りにくくなる病気です。

日本全国で約5,000人のCIDPの患者がいると推計されています。患者によって症状は様々です。

同じような症状の病気としてはギランバレー症候群があります。こちらは4週間以内に症状のピークを迎え、その後再発することは稀なのに対し、CIDPは2ヶ月以上症状が進行し、治療後も再発と寛解を繰り返したり、慢性的に進行したりすることもあります。

現在、治療法としては主に、ステロイド療法、免疫グロブリン療法、血液浄化療法などがあります。その効果は患者によって差があり、それぞれに合った治療法を選択していくことになります。

治療をはじめるも改善せず

CIDPの診断が出て、最初に行った治療は免疫グロブリン療法でしたが、大きな効果は得られなかったですね。

次がステロイド療法です。点滴でステロイドを投与するのですが、正直言いまして、全くと言っていいほど効果がなかったです。

点滴投与後、錠剤でステロイドを服用し始めたのですが、数日後に視界がいつもより少し白みがかって見えるようになりました。

薬の副反応により、白内障になってしまったんです。

目の手術が必要な状態だったのですが、ステロイドを減らしてからでないと手術はできないと医師に言われました。

ただ、一気に減らしてしまうと、目以外の部分に悪影響が出てしまうので、徐々に減らすしかないという状況でした。

仕方なく自宅で療養しながらステロイドを減らしていったのですが、目は見えなくなっていくし、手足は思い通りに動かないし、ほぼ寝たきり状態になってしまいました。

その頃が身体的にも精神的にも一番辛かったですね。

絶望的な気持ちになって、元気だった頃の写真を捨ててしまったり、助けてくれている家族にあたってしまったりしました。

リハビリをはじめたことが転機に

目の症状は手術により改善しました。

CIDPの治療としては、血漿交換療法も選択肢としてはあったのですが、医師と相談の結果、体への負担を考えて、やらないという判断に至りました。

その頃から、対処療法として痛み止めの薬を服用しながら、紹介してもらったリハビリの病院に通うようにしました。

すると、少しずつ身体が動かせるようになってきたんです。

はじめは通院リハビリだけだったのですが、自分でもリハビリをしたいと思って、県が運営している障がい者向けのスポーツ施設に行くようになりました。

今考えると、ここが私の転機でしたね。

その施設のプールには手すりがあって、安心して水中を歩けるようになっています。また、ビート板を使ってバタ足をしたりもしました。

そこで、全身を動かすということを1年半くらい続けました。

パラスポーツを紹介してもらったのもその施設です。

脚はまだ症状が強かったのですが、リハビリの甲斐もあって、腕は筋肉が少し戻ってきていました。そのことに気付いた施設の職員の方が、砲丸投の記録会に誘ってくれたのです。

やってみると、かなり好記録が出ました。

これは面白いと思いましたね。

今後の目標

今、メインで取り組んでいるのが円盤投です。

砲丸投の練習と並行して始めたのですが、円盤投の方が記録がどんどん伸びていき、2022年には当時の日本記録を更新しました。

その記録を他の選手に抜かれてしまったのです。その記録をまた抜き返すことが目標ですね。

病気のせいでいろんなことを失いましたが、本気で頑張れば失ったこと以上のものを得ることもできると思います。

そのことを、パラスポーツを通じて表現していきたいです。

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