視野を広げて希望を持つこと。|青木 敬也さん:脊髄性筋萎縮症(SMA)

青木 敬也さんは、生まれて間もなく「歩くことができない」という診断を受け、車椅子での生活を余儀なくされながらも、2025年には訪問介護会社を起業しました。障害者としての視点から「自立」と「支援」のバランスを模索し続ける、その歩みをご紹介します。
これまでの経緯
- 1995年 生後、つかまり立ちが限界で母が心配し始める。
- 1996年 自身で歩くことができず、脊髄性筋萎縮症(Ⅱ型)と診断。
- 2022年 一人暮らしを開始。
- 2025年 訪問介護の会社を設立。
病気の詳細
私が患っている病気は、脊髄性筋萎縮症(Spinal Muscular Atrophy =SMA)という遺伝性の神経・筋の疾患です。
特に「Ⅱ型(中間型)」に分類されることが多く、生後7~18ヶ月頃までに発症し、座ることはできても支えなく立つことや歩くことができないという特徴があります。
この病気では、体の「運動ニューロン」と呼ばれる神経細胞が脊髄で減っていき、筋肉に命令を伝える機能が低下します。
その結果、筋力が低下・萎縮し、手足や体幹の近く(股関節・肩あたり)が特に影響を受けます。
また、Ⅱ型では成長に伴って背骨の曲がり(側弯症)や関節の拘縮(動きにくさ)などが生じる可能性があり、呼吸器のトラブルを伴う場合が重症化の要因となります。
治療としては、筋力を取り戻すという根本的な方法はまだ完全には確立されていませんが、遺伝子治療、薬物療法、理学療法・作業療法などを組み合わせて「進行を遅らせる」「QOL(生活の質)を高める」ことが目指されています。
私はこの病気によって、「歩く記憶がない」「常に車椅子であった」「周囲の目線を感じてきた」という経験をもっています。
しかし、病気を“ただのハンディキャップ”としてではなく、自分の人生を形作る一部として捉えるようになりました。
生活の様子
車椅子での生活は、幼少期から日常的にありました。
自分の記憶には「歩いた」というものがなく、すべて車椅子を使っていたシーンです。
保育園や学校に通う中で、周囲の子どもたちと自分が「違う」ということを、初めて自覚しました。
体育の時間にみんなと同じことができない、自分だけ車椅子、という状況は、幼少期の私にとって非常に辛いものでもありました。
中学生になると、成長期による変化も加わりました。
側弯症(成長期に顕著に現れる背骨の歪み)が私の体に発生し、見た目も他の人と「違う」という感覚が強くなりました。
特別支援学校に転入し、特に刺激の少ない環境で過ごしました。
友達は少なく、「これをやりたい」という夢も抱きにくかったのが正直なところです。
20歳ごろ、親が弱っていく姿を見て、「このままだと施設に行かなきゃいけないのかな」と危機感を抱きました。
ヘルパーさん頼り、施設頼りでは「自分のやりたいこと」ができなくなるという思いが強まりました。
入院経験から「病院や施設の都合で生活が制限される」ことも知っており、自立への気持ちはここから一層深まりました。
そして、2021年には一人暮らしを開始しました。
ヘルパーさんの助けを借りながらではありますが、自分で起きて、生活を回すという経験を積むことで、「自分でも”何か”できるかもしれない」という自信が少しずつ芽生えました。
仕事への挑戦

自立心が目覚めたとき、同時に「私にはできない」という強い劣等感もありました。
それが、逆に「何か変えなきゃ」という原動力にもなったんだと思います。
だからこそ、何ができるかを模索し、まずはパソコンを学び資格を取得しました。
ヘルパーさんを探すために、相談支援員を介さず自分で10社以上の訪問介護会社と契約を結び、ヘルパーさんを見つけ、そこでたくさんの人と話しました。
そのつながりから、4時間の講義を任される機会も得ました。
講師としての仕事にチャレンジできたのはヘルパーさん含め、たくさんのつながりや御縁があったからこそです。
しかし、就活してみると体力的に厳しい場面があることに直面し、「自分で働きたいときに働けるように、自分で会社を立ち上げたほうがいい」と考えるようになりました。
前向きになった私は福祉の集まりに参加したりなど、人との繋がりもかなり意識していることや、SNSも積極的に行い、友達を作り、「会社を手伝うよ」と言ってくださる方も多くいらっしゃいました。
そして2025年、私は訪問介護事業を主体とした会社を設立しました。
自分が経験してきた「施設頼み」「誰かに頼らざるを得ない」という立場だからこそ、「人の心」をカバーできるようなサービスを提供したいと考えています。
自分と同じような病気や障害を抱える人から「励みになります」という言葉をもらうことも増えてきました。
今後の目標
私の伝えたいことは、「人を頼ることの大切さ」と、「ちょっとした抵抗の矛盾」を理解してほしいということです。
障害者として生活していて、他人からかけられる言葉や視線を気にしてしまうのは当然です。
私たちは、傷つきやすい立場にいることもあります。
でも、視野を社会全体に広げてみると、私たちを助けてくれる人もたくさん存在します。
医師、支援者、友だち、家族。そういった人たちとの出会いが希望の源になります。
今の私は、希望をもっていないところから起業した経験があります。
人生に「何があるか分からない」ということを知っています。
だからこそ、気持ちが強くなれば体力もつき、体力がつけば前向きになれると信じています。
身体は、心の持ちようで変わることがたくさんあると実感しています。
できるだけ「良い方向」に向かっていきたいし、皆さんにもぜひ向かってほしいです。
最初の一歩は誰にとっても大変ですが、その一歩を踏み出すこと、そしてその先を諦めないことが大切だと思っています。
私は「人に希望を与えられる存在」になることを今後の目標に掲げています。
講演、訪問介護、重度訪問介護従業者養成研修や初任者研修の講師などを通じて、自分の体験を届けていきたいと思います。
