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同じ病気の方の力に。朝妻妃音さん|シトリン欠損症(NICCD)

今回は、シトリン欠損症(NICCD、指定難病318)を患いながら、患者会などで活動をされてる朝妻妃音さんを取材させて頂きました。

これまでの経緯

  • 2001年 生後3ヶ月でシトリン欠損症(NICCD)の診断
  • 2007年 小学校入学時に持病について親から告げられる
  • 2016年 友達にはじめて持病について告白
  • 2019年 看護学校入学

シトリン欠損症(NICCD)について

人間の体の中には約3万個の遺伝子があり、その中の一つにあるSLC25A13という遺伝子がシトリンというタンパク質を作ります。

このタンパク質はエネルギーを作る仕組みの一役を果たしています。

シトリン欠損症(NICCD)とは、このSLC25A13遺伝子に変異があることで主に肝臓での代謝機能(炭水化物からのエネルギー生産やアルコールの解毒など)がうまく働かなくなり、様々な症状を引き起こします。

症状の1つとして現れる食癖は、体からの自然の防御反応と呼ばれています。

この病気は食事療法が治療の鍵となります。

食事内容や量などはシトリン欠損症(NICCD)患者同士で違うことも多くありますが、低炭水化物高タンパク質高脂質のバランスが大事であり、低血糖を防ぐために頻回にエネルギー補給する必要があります。

シトリン欠損症(NICCD)は適切な食事管理と病院での定期診察により、多くの方が通常の日常生活を送ることができます。

小学校から高校の頃

私の場合は、新生児期の定期検診で体重増加が遅かったらしいんです。

また、便が白かったらしくて、おかしいと思って両親が遺伝子検査したそうです。

子どもの頃は、みんながお菓子を食べるときにも、お肉の方が良かったり、といったように自分が選ぶものが他の友達と違っていました。

そして、小学校に上がるときに、自分はシトリン欠損症(NICCD)だということを知らされました。

お友達と少し違うものを好むのも、病院に通っているのも、そのためだと言われました。

小学校も協力的で、「給食は残さないで食べようね」といった指導がされることもなかったです。

クラスメートから心無い事を言われることもありませんでした。
担任の先生が守っていてくれていたのだと思います。

また、小・中学校までは友達にも病気のことは話していませんでした。

給食も、両親や担任の先生の協力があったので、自分で友達に話す必要がなかったんです。

高校になると、お弁当になります。
ほんの少しのご飯とたくさんのおかずのお弁当は珍しかったですね。

また、料理に興味が出てきて、自分でお弁当を作ったりし始めました。

ちょうどその頃に、初めて友達に病気の事を話しました。

通っていた高校には、個性的な生徒が多かったんです。
この人達なら話しても受け止めてもらえるかもしれないと思ったんです。

それでもやっぱり言うときは少し怖かったですね。

築いてきた関係が壊れてしまったり、遊びに誘ってもらえなくなるんじゃないかっていう不安がありました。

でも実際に言ってみると、「私も好き嫌いあるし、(ご飯やパンがあまり食べれなくても)他の物を食べられるんだから別にいいよね。」といった、前向きな反応で、その後も変わらない関係でいることができました。

この反応はとても嬉しかったですし、言っても大丈夫なんだっていう自信にもなりましたね。

看護学校へ

高校に入学した頃から、子どもに関わる仕事がしたいという気持ちがありました。

物心つく前から病院の環境にいたことが影響していると思います。

また、ずっと主治医をしてくださっている先生に恩返しをしたいという思いもあって、看護師を目指しました。

高校卒業後、看護学校に入ってからも、友達との関係はうまくいきました。
高校で病気のことを自分から話した経験が活かされましたね。

ただ、看護学校では先生の理解を得ることに苦労しました。

シトリン欠損症(NICCD)の患者は、血糖値の維持のために補食が必要になるときがあります。

シトリン財団という組織や、患者会が作った資料を使って説明したのですが、なかなか協力してもらうことが出来ませんでした。

そのまま1週間の現場実習に入ったのですが、お昼以外の休憩時間がとれず、活動量とエネルギー補給の量が合わず、血糖値が下がってしまう状況になってしまいました。

1年生の実習は1週間だけだったので、なんとか乗り切ることが出来ましたが、このままではまずいと思って、自分で資料を作ることにしました。

2年生になったときに、その資料を使って先生全員に、シトリン欠損症(NICCD)という疾患があって、自分がどのように生きてきたか、自分にはどのような協力が必要か、という事を説明しました。

その甲斐あって理解をしてもらうことができ、環境を整えてもらうことが出来ました。

新たな目標

看護学校卒業後は、子ども病院に就職して、看護師として働き始めました。

ただ、子どもたちと接しているうちに、看護師としてではなく、子どもたちと別の関わり方をしたいという気持ちが強くなっていきました。

小学生のときに、検査入院した病院で会ったチャイルド・ライフ・スペシャリストの方の仕事が忘れられなかったのです。

※チャイルド・ライフ・スペシャリストとは・・・
医療環境にある子どもや家族に、心理的・社会的支援を提供する専門職。子どもや家族が抱えうる精神的負担を軽減して、主体的に医療体験に臨めるようにすることを目指す。
現在、日本ではチャイルド・ライフ専門課程を有する教育機関はなく、北米の大学や大学院で学ぶ必要がある。

その資格を取るには、アメリカかカナダに留学しなければならないので諦めていたのですが、やっぱりそこに挑戦したいと思うようになりました。

今は、看護師を辞めて、カフェでアルバイトをしながら、スマイルスマイルプロジェクトという小児がんと向き合う子どもたちを応援する活動に参加して、資格取得の目標に向けて準備しています。

ちなみに、カフェの仕事は体力的に大変なイメージがあると思うのですが、私の働いている店ではミルクなどのテイスティングが頻繁にあって、それがエネルギー補給にもなるので、シトリン欠損症(NICCD)の患者にはピッタリかもしれないですよ。

同じ病気の人のために

・情報発信・絵本の作成

専門学校の先生に説明するために作った資料を患者会で発表することがありました。

それを見た方から、どんなものを食べているのか知りたいと言ってもらって、それからInstagramで私の食事を発信するようになりました。

また、同じ資料を元に絵本の作成もしています。

この病気は、周りの人が理解して、少し協力してくれるだけで生活がしやすくなります。

しかし、理解してもらうには説明が必要で、そのときにパンフレットだけでは分かりにくいし、子どもには伝わらないと思い、始めた活動です。

・伝えたいこと

スクリーニング検査などの発展により、現代では新生児期にシトリン欠損症(NICCD)と診断される子どもがほとんどではありますが、たまたま乳児期に健康状態が良好だったという状況から成人期になってシトリン欠損症(NICCD)と診断される方が多くいるのも事実です。

「家族や友人とどこか自分は違う」という疑問を抱きながらも、摂れる食事で乗り越えられてきた方の今後のフォローも大切にしていけるようになりたいです。

そして、シトリン欠損症(NICCD)は決して好き嫌いやわがままでは無いということをきちんと理解した上で、その子自身を見てあげて欲しいです。

個々に置かれた環境の中で工夫し、対処していかなくてはならないため、簡単に乗り越えるには難しい出来事で溢れているのが現状だと思います。

しかし、周りからはみ出ることなく、どんな時もその子らしく、自分らしくいれるように、患者・家族同士、時には医療者も巻き込んで、温かく見守っていける環境作りができたらいいなと願っています。

最後に、人と違うことをしなければならない時や何かしらの工夫が必要になってきた時に、嫌だと感じたことや、みんなと同じようにやりたいと思ったことは我慢せずに、家族や主治医の先生、繋がっている患者さんにお話して欲しいと思います。

きっと一緒に悩み考えてくれるはずです。

そして、相手と違うから恥ずかしいとか、おかしいとか、シトリンだからこうなんだとか、そんなことは絶対に無いです。

辛く苦しくても、それを乗り越えて楽しんだり、工夫できるようになるから、困った時は周りにいる信頼できる人に伝えてみてほしいです。

私自身もシトリンを持って生まれたこと、こうして皆さんと出会えて貴重な経験をさせてくれていることどれも宝物です。

キラキラしたことばかりな人生では無いけれど、これを見てくれている皆さんの人生も、こうだったから良かったと思ってもらえるきっかけとなれば嬉しいです。

朝妻妃音さんInstagramアカウント:@himes_cooking_record
シトリン欠損症(NICCD)の会Instagramアカウント:@citrin_deficiency

※現在、シトリン欠損症(NICCD)についての絵本を広めるために、ご支援・ご協力いただける方を探しています。ご協力いただける方はインスタグラムのDMにてご連絡ください。

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