人との繋がりを大切に。田島勇弥さん|脊髄小脳変性症(SCD)
今回は、18歳で脊髄小脳変性症(SCD、指定難病18)を発症し、現在は同じような障がいを持つ方に向けて動画配信をしている田島勇弥さんを取材させて頂きました。
これまでの経緯
- 2017年 ふらつきなどの自覚症状
専門学校に入学 - 2019年 料理人として就職
- 2021年 脊髄小脳変性症(SCD)の診断
- 2023年 YouTubeで動画配信を開始
脊髄小脳変性症(SCD)について
脊髄小脳変性症(SCD)の患者数は、日本全国で3万人を超えるといわれています。
人によって差が大きいですが、手の震えや、起立・歩行時のふらつき、喋る時に口や舌がもつれるなどが主な症状として出ます。
遺伝性のものとそうでないものに分けられますが、脊髄小脳変性症(SCD)の約1/3が遺伝性とされています。
初期症状
最初の自覚症状は高校3年生の時でした。
起立をしているときに、友達から「フラフラしてるよ」と言われたのです。
その後、道路の白線を真っ直ぐに歩けなくなりました。
真っ直ぐに歩いているつもりなのに、はみ出てしまうような感じですね。
あと、転びやすくもなりました。
僕は母親からの遺伝だと思われます。
母親のことを、よく転ぶなぁ、フラフラしてることがあるなぁとは思っていましたが、病気について詳しく聞いていませんでした。
症状が現れだした18歳の頃は、少し異変を感じてはいましたが、まあ大丈夫だろうという気持ちでした。
診断までの4年間
母から病気のことを聞いてからは、自分も、もしかしたらという気持ちはありました。
ただ、病気と診断されてしまったら、その後、仕事に就きにくくなるのではないかなど、漠然と不安な気持ちになりました。
病院には行かず、そのまま専門学校に2年間通い、その後料理人として2年半働きました。
症状としては、少しずつ進行して、20歳くらいの時、歩く時に少し足を引きずるような感じがありました。
22歳の時には、仕事で物を運ぶときに転倒してしまうことがありました。
両手がふさがっていると転びやすくなるのです。
そして、病院を受診し、脊髄小脳変性症(SCD)の診断を受けたとき、料理の仕事はもうできないんだろうなと思いましたね。
現在の状況
現在は、外出時は車椅子を使用しています。
体幹を維持するのが難しく、自宅で歩くときも歩行器が必要です。
嚥下障害もあって、気をつけてはいるのですが、1回の食事に大体1回は咽せてしまいます。
悩んだりしてしまうこともあるのですが、彼女ができてからは、山登りしたいとか、一緒に何かしたいという目標ができました。
ひとりでは出来ないような目標を持つきっかけをもらえたり、その目標に向けて一緒に頑張ろうと思えます。
彼女の存在は本当に大きいですね。
彼女の会社がキャンプを通して青年を育てようという取り組みをしていて、今はそこで一緒に食事を作る手伝いをしたりしています。
そのキャンプにはボランティアの大学生や、小学生など、いろいろな年齢層の方が参加しています。
そういう人たちが、障がいを持っている僕と関わることで何か考える機会になってもらえるといいなと思っています。
人との繋がりを持つ
最近は、脊髄小脳変性症(SCD)・多系統萎縮症(MSA)友の会でやっている「ふれあいカフェ」に参加したりしています。
また、学童で子供たちとボードゲームやカードゲームをやるのも楽しいですね。
頭も使いますし、コミュニケーションの材料になって、とても盛り上がっていいですね。
人と繋がり、コミュニケーションをとることは、自分にとってはリハビリにもなるので、大事だと思っています。
また、2023年から「介護食とたじ」という名前で、YouTubeで動画配信を始めました。
自分自身も嚥下障害があり、飲み込んだり、噛むことが不自由です。
そこで、料理で少しでも嚥下障害を改善できないかなと思ったことがきっかけです。
僕と同じような障がいを持った方や、今後そういう人と関わる方はもちろん、全ての方に届くと嬉しいです。
同じ病気の方へ
僕は今、時間に余裕があるときは、出来るだけリハビリをやっていきたいと思っています。
同じ病気の皆さんも、やりたいことがあればやっておいた方がいいです。
やりたいことを見つけたら、すぐにやるのがいいと思います。
ただ、無理しないことは大事です、無理せず一緒に頑張りましょう。