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出来ることだけを出来る範囲でやる。猫本力さん|多発性硬化症

今回は、多発性硬化症(MS)を抱えながらも、障がい者スポーツでの優勝経験や音楽活動など、さまざまな分野で活躍されている猫本力さんを取材させていただきました。

これまでの経緯

  • 2001年 突然真っ直ぐに歩けなくなる。原因が分からないまま症状が進行する
  • 2002年 多発性硬化症と診断される。ほぼ寝たきりの状態となる
  • 2020年 障がい者スポーツ競技の練習を開始
  • 2021年 右手にジストニアを発症する
  • 2023年 全国障害者スポーツ大会優勝(電動車椅子スラローム、ビーンバッグ投げ)

自己紹介

初めまして、猫本力です。

29歳のときに発症し、翌年に多発性硬化症の診断を受けました。

現在は会社員として事務職をしています。

電動車椅子を使用して、月曜日から木曜日は電車で通勤しています。
金曜日は自宅でリハビリを行うという生活です。

発病当時と現在の状況

発症時の状況

高校卒業後、専門学校を経て、東京で音楽関係の会社に勤務していました。

某有名アーティストのスタッフとして多忙な日々を送っていましたね。

2001年4月、急にまっすぐに歩けなくなりました。視界も歪んでしまい、おかしいと思って病院に行くと、検査をすると言われ、そのまま3ヶ月間の入院生活となりました。

原因はわからず、入院中もどんどん症状は進行していきました。

最初のうちは精神的にも辛くなり、入院中に自殺未遂をしたこともあります。医師や看護師といった、蘇生のプロの方たちに囲まれている中の自殺なんか無意味で、今考えると馬鹿な話です。

結局、多発性硬化症という診断が出たのは発症から約1年半後で、その頃にはほぼ寝たきりの状態でした。

現在の状況

今は、電動車椅子を使用して生活しています。

両手の握力はほとんどありません。

膝より下の感覚がありません。正座をして痺れた足の状態がずっと続いているような感じだと思ってください。

病気の影響で目の瞳孔が少し開きっぱなしの状態なので、眩しいのが苦手です。そのため、医療用のサングラスを使用しています。

2年ほど前に、右手だけなのですがジストニアを発症しました。食べ物を持ったときなどに震えの症状が出ます。

多発性硬化症との関連は、よくわからないそうです。

来年(2024年)の9月から、介助犬が来る予定ですので、犬と一緒に行動できるようになります。

下に落とした物を拾うのが楽になったり、生活が今より良くなったりするので楽しみですね。

介助犬は、申請してから順番待ちや訓練期間などがあるので、自分の元に来てくれるまで3年ほどかかるんですよ。

治療のために広島へ

多発性硬化症は珍しい難病です。診断後、権威の先生のもとで治療をするために広島に引っ越しました。

治療とリハビリを継続した甲斐もあり、出来る事が増えていきました。

自分で電動車椅子も使用できるようになったので、市営の車椅子住居に住み、さまざまな活動を始めました。

車椅子マラソンに出たり、音楽のライブイベントに携わったりしました。

その時には、結成した地方アイドルグループを5年ほどプロデュースしていましたね。

広島での生活を順調に送っていたのですが、主治医だった先生が引退されたこともあり、東京に生活の拠点を戻すことにしました。

今は埼玉に住み、東京の職場に通っています。

出来ることだけをやる

信条は「出来ることだけをやる」ということです。

いくら頑張っても、出来る範囲のことしか出来ないですから。

いい意味で「諦める」ことも必要だと思っています。

発症直後はとても落ち込みましたし、悩みました。ただ、いくら落ち込んでも、いくら悩んでも、「元の身体に戻るわけではない」と諦めました。

諦めて、状況を受け入れて、自分が出来ることをやるしかないと考えるようになりました。

だから、今でも出来ないことは無理にはやらないです。他の人の力を借りられるのであれば、遠慮せずにお願いしています。皆さん、結構助けてくれますよ。

そのときは、「ごめんね」ではなく、「ありがとう」と言うように心がけていますね。

感謝の気持ちは忘れないようにしています。

障がい者スポーツをはじめる

病気になってから20年ほど経った2020年、障害者スポーツをはじめました。

コロナ禍になって、時間ができたので、何かやれることはないかと思って市役所の障害福祉課で相談したことがきっかけです。

最初にはじめた競技は車椅子スラロームです。

赤と白の「ピン」と呼ばれる棒を立てて設定されたコースを、車椅子で走行し、ゴールまでのタイムを競います。

ピンにあたって倒してしまうと、1ピンにつき5秒加算されてしまいます。

競技を始めるまで、ずっと電動車椅子を使用していたので、すんなり競技に入れました。

次に挑戦したのが、ビーンバッグ投げです。

「ビーン」は日本語で豆、「バッグ」は袋ですよね。簡単に言えば、豆が入った袋を投げた距離を競います。私は握力が8kgほどしかないのですが、そういう、手にも障がいがある車椅子利用者が出場する投擲競技です。

どちらの競技もすぐに県大会で優勝できました。嬉しかったですね。

今年(2023年)、鹿児島で開催された全国障害者スポーツ大会でも両競技で優勝することができました。それほど練習できなかったのですが、、、才能があったのかもしれません。

次はパラリンピック種目のこん棒投げ、さらには射撃競技にも挑戦しようと思っています。

今後の目標

直近の目標

やはりアスリートとしての活動を頑張っていきたいと思っています。

2028年のロサンゼルスパラリンピックに出場することが目標で、そのための国際大会が2024年の5月からスタートします。そこで結果を残して、出場権を取りたいですね。

また、音楽に関わることも続けていきたいです。依頼があれば作詞・作曲などやりますよ。

電動車椅子ダンスなんかにも挑戦したいと思っています。

これから先の目標

発症後、寝たきりの状態になってから、出来ないことは諦めて、その時の自分が出来ることを試行錯誤してやっているうちに、少しずつ動けるようになりました。

自分に才能があるスポーツに出会うこともできました。

今後も、「自分が出来ることを、出来る範囲でやる」ということを続けていきたいです。

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